クスノキの番人

東野圭吾 実業之日本社 2020年

大きな洞のあるクスノキは、月の決まったころに祈念すると、その人の念を受け取って預かってくれ、血縁の人が受念することができる。遺言書といった形式では伝わらないもの、魂を受け渡すことのできる不思議なパワースポットだ。
孤独な青年の成長の物語りでもある。

赤めだか

立川談春 扶桑社 2015年

1984年、17歳で立川談志に入門した談春のエッセイ。
入門からの、談志をはじめ兄弟弟子たちのエピソードを交え、落語家としての足跡が語られる。
江戸落語の世界の慣習なども興味深い。

蛇 不死と再生の民俗

谷川健一著 冨山房インターナショナル 2012年

魔性を持った動物と人間との間の戦慄するような親和力は、いつごろからはじまったか。
それは少なくとも縄文時代中期、考古学でいう勝坂式土器の時代までさかのぼれる、と私はおもう。

という冒頭から、どきどきする。
昔話の異類婚姻譚を思い出すからだ。
人ー蛇ー神と、自在に変化する昔話の登場者に魅力を感じている。
著者谷川は、民俗学を「神と人間と自然との交渉の学である」と定義する。
そして、各地を歩きながら、さまざまなところで出会った物・事・言葉を習合して分析する。

目次
第一章 蛇巫の誕生とゆくえ
蛇巫の誕生/龍の文様の渡来/信州の蛇信仰と九州山地/琉球・朝鮮の三輪山伝説/蛇を祀る/蛇と百足/蛇と雷/毒蛇の神罰/真臘国の蛇王
第二章 蛇と海人の神
和の水人の信仰/死と再生の舞台/蝮の由来/海蛇ー海を照らす神しき光/龍蛇神をめぐる神事/かんなび山の龍蛇信仰/龍蛇の末裔/潜水の方言スム/潜りの海人と海蛇/古代海人と蛇の入墨/蛇の神と地名/ウズー海蛇類の総称/蛇と虹/蛇と不死/口笛と龍神
インタビュー 蛇と龍をめぐる民俗
解説 蛇が神であった世界(川島健二)

口訳古事記

町田康 著/講談社 2023年

古事記の現代語訳なんだけど、神さまたちが現代の関西弁で丁々発止やりあうのが、なんとも愉快。講談、というより、ほぼ落語。たしかに古事記ってナンセンスだし、笑えるよなあと思わせる。
たとえば、こう。

海幸山幸の一場面

父の神が事情を問うたところ、火遠理命は、「実は・・・・・」と兄の神の大事な釣り鉤を失くしてしまったことを打ち明けた。
「なるほど。でも、それ、なんとかなるかも」
「マジすか」
「マジです。ちょっとお時間頂戴できますか」
そういうと父の神は、海に向かって、
「みんな、ちょっといいかな。ちょっと集まってくれるかな」といった。

ホムチワケノミコがこっそりヒナガヒメの寝屋をのぞいたら、ヒメが蛇だった場面

「あかん」
思わず呟いたホムチワケノミコに側近は問うた。
「なにがあきまへんね」
「ちょっと長いどころやあらへん。蛇や」
「マジですか」
「嘘やおもたら、おまえも見てみいな」
「ほな、ちょっと、うわあああっ、蛇ですやん」
「大きな、声出すな」
「あかん、今、まともに目ぇ合いましたわ」
「そやさかい大きな声、出すな、ちゅってんね」
「どないしまお」
「逃げよ」

こんなに気楽に楽しめる古事記は初めて!

ペッパーズ・ゴースト

伊坂幸太郎著 朝日新聞出版 2021年

ペッパーズ・ゴーストというのは、舞台装置を作る技術で、実像と虚像が同時に舞台に表れる効果。

主人公は30代の中学教師。迷いも悩みもある平凡な人物だが、他人の近未来を垣間見る不思議な能力を持つ。そのことで、他人をすくえたのではないかという悩みを常に持っている。

主人公に女子生徒が自作の小説を見せてくる。軽いサスペンスなのだが、その登場人物が、現実に現れて、窮地に陥った主人公を救い出す。
どこまでが小説なのか、どこからが現実なのか、わからないまま、ストーリーは軽快に進む。

小説内登場人物のロシアンブルとアメショーが、妙に魅力的。

悪童日記

あくどうにっき

アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳 早川書房 1991年

アゴタ・クリストフは1935年ハンガリー生まれ。

小説の舞台「小さな町」はアゴタのふるさとハンガリーの田舎町クーセグ。
第2次世界大戦中、ハンガリーはナチスに占領され、ホロコーストも経験する。ソ連によって解放されるが、そのままソ連の統治下に置かれる。
現在のウクライナもそうだが、東欧の国々は独立国家として存在するために非情な苦しみをなめる。

主人公は、第2次大戦から戦後のそんな時代を生きる双子。父親は兵役にとられ、母親は、双子を「小さな町」の実母のもとに疎開させる。

「ぼくら」と一人称で描かれるため、どんな非道や、醜悪なことや、ショッキングなことも、少年の目で淡々と語られる。
きれいごとではない生き抜く力とは何かを実感させられる。

『ふたりの証拠』1991年、『第三の嘘』1992年との三部作。

   

調べる技術 書く技術

佐東優著/SBクリエイティブ株式会社 2019年

もくじ
第1章情報過多な時代の調べる技術、書く技術
第2章【インプット】情報を「読む力」を高める
第3章【アウトプット】読んだ知識を表現につなげるスキル
第4章調べる技術、書く技術の「インフラ整備」のすすめ

ビジネスマン向けだけれど、ご隠居さんの老化防止によいかも。これまでに持っていた漠然とした知識をここで整理してアウトプットできるようにすれば、生き方が変わるかもしれない。

地下鉄道

コルソン・ホワイトヘッド著 谷崎由依訳 早川書房 2020年

アメリカ合衆国南部に住む黒人奴隷が、奴隷状態から抜け出すために北部へ脱出しようとする。地下鉄道は、そのための手助けをする人たちで作られた組織のこと。ただし、この小説では、たんなる組織ではなく、実際に地下にトンネルを掘って作られた鉄道が出てくる。鉄道を乗り継いで逃げる娘コーラの凄惨な物語。

奴隷の生活のひどさ、差別をする人間の残虐さがこれでもかというほどリアルに描かれる。生き延びようとするコーラの心のありようが、普通の娘の心と少しも変わらないゆえに、より残酷にも感じられるし、同時に希望も感じられる。

これは、かつてのアメリカ合衆国を舞台にしているけれど、現代のことでもあり、世界中どこでも起こってきた、起こりつつあることでもある。

小さなことばたちの辞書

ピップ・ウイリアムズ著 最所篤子訳 小学館 2022年

主人公エズメ・ニコルが6歳のころ、辞書編纂者の父親の足もとで周りの編纂者の仕事を見ているところから物語は始まる。
オックスフォード英語大辞典の編纂に関わった実在の人たちを周りに配し、作者の創作である少女エズメの人生を描いている。
背景には、イギリスの女性参政権獲得の運動と、第一次世界大戦の勃発がある。
エズメは、オックスフォード英語大辞典の編纂の過程をつぶさに見ていて、それが男性のことばを集めたもので、出典は書籍からでなければならないことに、違和感を抱く。
そして、自分なりにことばを集め始める。それは、女性のことばであり、書かれたものではなく話されたことばであり、労働者や底辺に生きる人々のことばだった。

エズメのことば集めと成長を縦糸に、エズメを愛した人やエズメが愛した人との心の交わりと、エズメが愛する人を失っていく悲哀とが、読む者の心を潤す。

ハッピーエンドではないが、ひとりの人間の生涯が歴史の一コマとなりうることに、励まされる。

筆者ピップ・ウイリアムズは、オーストラリア出身の小説家。